雨宮勇徒の研究室危機管理[南海トラフ地震対策・原子力]

核被害


日本で原子炉は、電力会社が運転している発電所内で建設中・停止中を含めて約60基、研究機関で解体中を含めて約30基あります。核燃料の加工・再処理を行う施設も十数か所あります。まずこれらの施設でどのような人々にかかわる事故が起こってきたか簡単に述べていきます。

日本で最大の原子力事故は2011年3月の福島第一原子力発電所事故です。東北太平洋沖地震(東日本大震災)による地震と津波によって全電源喪失し、核燃料が冷やせなくなり、原子炉がメルトダウン、建屋が水素爆発し、多くの放射性物質を周囲に撒き散らしました。世界でも最大級の原子力事故で、現在も収拾の見込みがありません。

次は99年のJCO臨界事故です。JCOは核燃料加工の再転換を担当し、事故が起こった転換試験棟では硝酸ウラニル溶液を製造していました。高速増殖炉「常陽」用の中濃度ウラン(18.8%)でした。

時間短縮・効率重視し、安全性を無視した作業が日常的に行われていました。都合のよい「沈殿槽」に硝酸ウラニル溶液をバケツを使って入れていたところ、溶液が臨界量を超え、事故となったのです。

通常、臨界量を超えないように安全な量、容器の形状が考えられ、工程が進みます。一定量以上は容器の中に入らないような設計、臨界が起きにくい表面積の大きい細長い形状になっています。事故が起きたのは、バケツを使った手作業で多くの量を処理しようとしたこと、球に近い形状の沈殿槽を使ったこと、日頃扱っていない中濃度ウランだったことが挙げられます。安全性を無視した作業で臨界をむかえてしまったわけです。

ウランやプルトニウムは硝酸に溶かすと臨界量が小さくなります。それは硝酸が減速材の役割をはたすからです。また密度が高いほうが小さくなるのは言うまでもありません。あと中性子が有効に使われるので放射性物質の表面積が狭いほど臨界量は少なくてすむのです。

この臨界は20時間ほど核分裂が続きました。その際分裂したウラン235は約1mgといわれています。これだけの量で甚大な被害が出たのです。

次は「もんじゅ」のナトリウム漏れです。もんじゅは高速増殖炉で、運転中二次冷却系の配管からナトリウムが漏れ、火災となりました。施設外に放射性物質漏れはありませんでしたが、通報が遅れ事故の隠蔽などもあり、大きな騒ぎになりました。

この事故以来、日本の高速増殖炉の実用化、プルトニウムを増やし核燃料を有効に利用していく道が閉ざされました。プルサーマルも先になかなか進んでいないのが現状です。

あとは、97年の動燃アスファルト固化処理施設火災・爆発事故、99年の敦賀発電初2号機一時冷却水漏れ事故など、最近では01年の常陽メンテナンス建屋火災、浜岡原発1号機の配管破断・原子炉水漏れがありました。

海外では79年のアメリカスリーマイル島原子力発電所事故(機器トラブル・誤操作によって冷却材喪失し、メルトダウン)、86年旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故(誤操作によって爆発)があります。

核で一番の被害は、広島と長崎に投下された原子爆弾です。広島にはウラン型、長崎にはプルトニウム型の原爆が使われました。科学の先端技術が不幸にも戦争に用いられたのです。

ここで原爆の仕組みを少し説明しておきます。広島に投下された原爆(リトルボーイ)はウランが材料に使われました。臨界量以上の高濃度のウランを二つに分け、起爆時に一つにすればよいのです。

長崎に投下された原爆(ファットマン)はプルトニウムが材料に使われました。構造はウラン型とは異なります。それはプルトニウム239だけではなくほかの同位体240も含まれていて、これは中性子が当たっても分裂せず自然に核分裂するため、量が多いと反応が始まってしまう危険があるのです。そのためプルトニウムを中空の球状に配置し、火薬の力で中心に集める爆縮という方法が取られています。構造が複雑なため、長崎に投下する前に実験がなされています。

ちなみに水素爆弾は核分裂のエネルギーをかりて水素を核融合させています。

参考文献

(2011/6/18)

危機管理[南海トラフ地震対策・原子力]

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