ネットでネギトロの語源がネギ+トロではなく、ねぎとるという動詞から来たものだというのがまことしやかに広がっています。いくつか例を挙げてみましょう。
『皮や骨についた身は物理的に刺身に出来ず、貝殻や匙で剥ぎ取ったものがすきみ。剥ぎ取ることを古語で「ねぎ取る」と言ったところからネギトロという。』[「ネギトロ」は「ねぎ取る」に由来するのか?]
『マグロなんかの魚の骨に付いて残った赤身を漉いて取ることを我々(料理人や漁船員など)は『ねぐ』って言うそれに、『取る』という動詞がくっついた「ねぎとる」という言葉』[X]
『ねぎとるの元の語源は建築用語で、地下構造物を作る時、地面より下の土を掘ることを「根切り」と呼んでおり、それが寿司業界にも広まり「ネギトロ」が誕生』[ガジェット通信(元はテレビ番組)]
ねぎとる以外に「ねぐ」や「ねぎる」が出てきました。果たしてどれが正しいのでしょうか。
ねぎとろは辞書で何と書いてあるか
(デジタル大辞泉) 『マグロなどの皮の裏にある脂身や中落ちの身をそぎ落とし、きざんだアサツキなどを散らしたもの。軍艦巻きや丼ものにする。 [補説] 語源未詳。口に入れると、とろりと溶けるような食感からともいう。』
ねぎとろが記載されている辞書ではどれも葱+トロで記載されているようです。[X]
ねぎとろはいつ生まれたのか
ねぎとろの発祥の店と言われてるのが浅草の金太楼鮨。誕生は昭和39年とされる。
以下江戸前ずしに生きる: 浅草、繁盛店の江戸前ずし覚書間根山 貞雄 (著)からの引用
『ねぎとろ巻きの普及
「ねぎとろ巻き」なんていうのも、やはり戦後のものである。私の店の一番古参の弟子である諏訪保君が田原町で開業したところ、マグロの頭や尾の近くの筋の強い部分を引いて、それを鉄火巻の芯に使うつもりでこしらえていた。たまたま、昼食にそばかうどんを茹でて、それに使うつもりでねぎを刻んでいたが、粗相して鉄火巻の材料の上にぶちまけてしまった。やむを得ず、ご飯にのせて醤油をかけて食べたら旨い。葱の臭いは消えて、マグロの脂っぽさが中和されて食べやすい。早速、今度はわさびを加えて手巻にして食べたら、これはいけると判断して、すぐに私に報告に来た。よしそれなら俺が試してみるとつくらせたら、これが誠にうまい。それから二週間、毎日試食の連続だ。(中略)これは大当たり間違いなしと、売り始めることに決め、何と命名するかを相談した。
私どもはこれより以前、「しそ巻」を板前の浜里巌君が開発し、私がそれを命名した。これが全国に普及し、他の店では「梅じそ巻」などの名前が多かったようだが、甲府のように「如月巻」と二月の梅に引っかけたものまであらわれた。
浅草には『麦とろ』という名前のとろろ飯を売る店が戦前からあり、専門店としては珍しいので土地では一応知られていた。よし、これだと、麦とろ→ねぎとろと語呂を合わせて決定した。
私どもの店は全店一括仕入れなので、マグロも毎日相当の量を仕入れる。仕入れ先のマグロ屋さんでも気をつかってくれて、マグロのカマとか端身とか中落ちなど、その日にでた半端材料は全部無料で送ってくれる。もとがただだから、売り値も安くつけた。
マグロの頭に近い部分や身の部分でも筋の分かれ目などは、食べてもどうしても強い筋が口に残るので、もったいないけれども刺身やすしに使わず、スプーンでもって丹念に筋を引いていた。身の部分は脂が強いからとろとろでうまいのだが、歯当たりはまったくない。このため、それまで鉄火巻に使っていたのだが、食べれば旨いのだが歯ごたえが皆無なのでクレームをつけるお客様がいた。曰く、「クズのところを使わないでください」。これには困っていたものだから、この部分がねぎとろの最適材料として使えるようになり、材料活用の点でもお客様のクレーム解消の点でも一石二鳥の効果があった。
略
ねぎとろ巻きは、異常な速さで全国に広まった。最初の頃は、私どもの常連客などが他のすし屋に入って、わざとねぎとろ巻を注文する。そのすし店ではまだ知らないから「それ何ですか」と、当然聞き返してくる。お客様の方は、得意になってこうこう作るんだよと説明する。板前は、にぎりに使うタネを二、三枚庖丁でたたいてねぎと混ぜる。だから、どうしても高くつく。私どもでは当初、一本一八〇か二〇〇円で売り出したものが、当時他のすし店では安い店で六〇〇円くらい、、八〇〇円くらいが普通であった。
人にすすめられて特許(製法)がとれるかと問い合わせたら、商品名の登録はできても製法は駄目だといわれ、そのままにしておいた。
これが普及してくると、脂のない安い冷凍バチなどに植物油を加えて攪拌すると全体が白っぽくなってとろのように見える製品が登場し、それを真似した業者が何社も現れ、築地市場でも店頭に並ぶようになった。もちろん、商品名は「ねぎとろ」である。これを使えば安いから、回転ずしでも売れるわけだが、本物でないことは確かである。』
トロが広く食べられるようになったのは60年代。痛みやすく保存がきかないので捨てられていたが冷凍技術の向上により生食で保存できるようになってからだ。
麦とろとの語呂合わせ、葱+トロでねぎとろが誕生当初の語源だったと考えられる。
ねぎ取るはいつから使われているのか
ねぎとるという言葉は辞書には載っていません。使われ始めたのが「ねぎとろ」よりも後でその用途も「ねぎとろ」以外に使われていません。「こそげ取る」の意味で使った「ねぎ取る」の確実な例がなく、「こそげる」を「ねぐ」「ねぎる」と言う例も見当たりません。[国語辞典編纂者 飯間浩明のX]
使用例が「ねぎとろ」より新しい「ねぎとる」が語源だというのが無理があるでしょう。「グーグルで検索する→ぐぐる」のように、ねぎとろを作る工程を「ねぎ取る」という動詞が生まれた説が有力かもしれません。雑学ブームでTVや雑誌が取り上げて広がった説もあると思います。
ただ寿司屋や市場関係者から多くねぎとる説を主張している人がいらっしゃるのが気になります。生みの親と育ての親が違うように、「ねぎ取る」という動詞ががネギトロの普及に貢献している可能性もありますが、ねぎとろよりも新しい言葉なので語源というのは難しいでしょう。
現在は何と売られているのか
最後に企業は「ねぎとろ」を何と売っているのでしょう。
寿司ネタとして
ねぎとろのパイオニア赤城水産株式会社
マルハニチロダイレクト まぐろたたき
ニッスイネギトロ
回転すし屋
魚魚丸:ネギトロ
寿司市場正:ねぎとろ
丸忠:ネギとろ
金沢まいもん寿司:ねぎとろ
握りの徳兵衛:ネギとろ
武蔵丸:ねぎトロ、ねぎとろ巻き
鮮:ネギトロ
まぐろや石亭:ねぎとろ
一心:ねぎとろ
寿司御殿:ねぎとろ
魚錠:ねぎとろ
寿司処角:ねぎとろ
徳川:ネギトロ
がってん寿司:ねぎとろ
魚忠:ねぎとろ
にぎり長次郎:ねぎとろ
スシロー:ねぎまぐろ
くら寿司:ねぎまぐろ
かっぱ寿司:ねぎとろ
はま寿司:まぐろたたき
握一番:ネギトロ
トリトン:まぐろたたき
魚べい:まぐろたたき
銚子丸:ねぎとろ、まぐろ中落ち
回転寿司みさき:ねぎとろ、ねぎまぐろ
大起水産:ねぎまぐろ
もりもり寿司:まぐろすき身、ねぎとろ
元禄寿司:たたきまぐろ
回転まるは:ねぎトロ
寿司本家:ネギトロ
回転鮨 魚太郎:ねぎとろ
多くがねぎとろですが、ねぎまぐろ・まぐろたたき・まぐろすきみ等「ねぎとる」が語源とは思えない名称もあります。
ねぎとろは葱+トロ
ねぎとろ巻き以外にトロと沢庵で「とろたく」巻きがあります。発祥は諸説あるようですが、昭和40年代後半と言われているようです。これは確実にトロ+沢庵ですね。[トロたく寿司とは?魅力やお店、レシピをご紹介]
新しい新説が出てこない限りはねぎとろの語源は「葱+トロ、麦とろの語呂合わせ」といえます。