雨宮勇徒の研究室教育問題

授業のあり方

授業の効率化

総合的な学習の時間を増やすためには、従来の授業時間を減らさなければならない。ここでは教える内容を減らすことなく時間だけを短縮する方法を述べる。  

まずは基礎学力の充実である。授業を円滑に進めるためには、理解に必要な知識、授業で扱う知識を前もって覚えさせるのだ。何を言っているのかわからない授業ほど受けていて苦痛なものはない。小学校3割、中学校5割、高校7割の生徒が授業についていけていないと感じている。長期間忘れない知識をつけ、授業を受けるために最低限必要な知識を記憶させておかなければならないのだ。  

各単元を始める前に、必要な知識を覚えさせる。国語であれば文章に出てくる漢字や言葉の意味、音読、算数(数学)であれば、計算力がある。理屈ではなく、暗記するべき内容である。自習の時間や宿題、授業の合間にやる小テストで繰り返しやる。要点を音読させるのもよい。覚えさせようと圧力をかけるよりも、ただ反復させ忘れにくくするほうが子供の負担ははるかに少ない。ゲーム感覚で楽しく覚えさせるのだ。  

この基礎学力の充実は、授業の理解度を上げ効率化できるだけではなく、学力低下にも効果がある。  

次は板書についてだ。教師が黒板に説明を書き、生徒が書き写す。この作業に多くの時間が割かれている。このことにどれほどの意味があるのだろう。覚えるために書き写すという行為は有効であるが、それは繰り返すことに意義があり一回だけの板書では効果は薄い。  

この時間を短縮するために、板書する内容をあらかじめプリントや副教本にして生徒に配る。教師は説明に必要な部分を板書し、授業を進める。書き写す時間が丸々節約できるのである。  

生徒はただ板書する手間がなくなり、先生の説明に集中できる。基礎知識が身に付いていれば、話もすんなりと入っていくだろう。説明が理解できれば、どこが重要だとか不明な点がわかる度合いが高くなる。授業を聞き必要に応じてノートやプリントに書き込んでいけばよい。  

理解を深めるためには、自分にわかりやすいノートを作成することだ。でもそれを授業中に行うのは至難の業だ。教師の説明を聞き、板書を写し、不明な点を質問し、わかりやすくノートにまとめる。職人の域に達する作業だ。授業中は説明を聞くのに専念する。わからないところは質問する。ノートには先生が説明する際の板書や気になった点を書く。それを元に、あとで教科書や副教本と照らし合わせて、ノートを作る。この段階で不明な点が出れば、ほかの生徒や先生に聞けばよいのである。本人が理解していないと、ノートは作れない。  

これらのことから授業を理解して聞くには、予習・復習が重要である。予習では授業でやる部分の教科書や副教本等に目を通し、必要な知識を確認する。復習では要点を再確認し、ノートをまとめる。この作業を「自習の時間」や家庭で行う。  

最後は授業内容の厳選だ。自立した学習が身に付いてくれば、一斉授業でやっていた内容も自分たちで勉強できるようになる。一斉授業で扱う内容を基礎やつまずきやすい部分だけに厳選し、あとは子供たちでやらせるのである。最初は教師が十分に指導しながら、自ら学ぶ力をつけさせていく。

自習の時間

現行の教育では一方的な講義をし、宿題を出し、勉強しなさいと指導する。しかし肝心の勉強の仕方を教えていないのである。学校教育で学習する技術をつけさせる必要がある。 

自習の時間は、授業の予習・復習と、今まで一斉授業でやっていた内容を自分たちでするのに使う。前者のほうは授業の効率化の項で述べた内容を行う。予習・復習の方法を教師の指導のもとで学ぶ。本来は家に帰ってからするものだが、やり方がわからなければうまくできないのだ。宿題として提示する方法もあるが、自分にあった勉強法を指導するまでには至らない。  

自ら学習する力がつけば、一斉授業でやっていた内容も生徒だけでできるようになる。予習・復習が徹底できれば、従来の授業の部分はかなりコンパクトになる。授業という形式をとらなくても生徒たち独自で学ぶことができるのだ。  

この時間で予習・復習の仕方を学び、授業でやっていた内容を生徒側でできるようになると、自習の時間だけで基礎知識が学習可能になる。  

板書する内容が書かれた副教本等と教科書を参考にしながら、自分たちで勉強する。わからない箇所があれば先生やわかる生徒に個別に聞く。  

自習というと、教師が教室にいない状態で生徒が静かに学ぶ印象があるが、この場合は教師は生徒個別に指導していくのである。助言の必要のない生徒は自分でどんどん勉強すればよい。一人ではなかなか進まない生徒には教師がマンツーマンで丁寧に指導する。教師の役割は、わかる生徒が代行できる。一つの教室に多くの先生がいるのと実質的に一緒。になるので、スムースに自習が進むのだ。

個別・集団学習の時間

総合的な学習の時間の導入で、自ら学び自ら考える力を養う教育が始まる。それに近いのがこの個別・集団学習の時間だ。  

個別学習の時間はテーマを決めて、自分の力で情報を集め、考えを人に発表する教育を行なう。集団学習の時間はそれをグループでやるのだ。  

学習するテーマは総合的な学習と同様に教科に関連した内容を扱う。授業でやった内容が実際どう使われているのか、深く掘り下げることで新しい事実が見つかるといった効果がある。授業で得た知識を自ら使うことでよって再確認する。断片的な知識が自ら調べることによって一つの体系的な知識になる。自ら学ぶことにより知識が定着し、授業自体の理解も深まるのである。  

この授業に慣れ、自立した学習が身に付いてくれば、学校教育とは無関係でもよい。世間で注目されている事、自分が興味を持っている事、自分で勉強してみたいと思う事をテーマにするのだ。教科と無関係だと思っていても、つながっているものなのだ。政治や経済問題は社会であるし、ITのような科学技術は理科・技術だ。教科の延長が社会の中に含まれていることがわかるだけで、ただ勉強していた内容も身近に感じる。  

集団学習の場合、個別学習と違って数人のグループで勉強するため、役割分担や議論ができる。三人寄れば文殊の知恵というように、プラスアルファの力が出る。導入段階でやり方を学ばせる場合や大きなテーマを扱う場合に適している。  

この時間では自ら学び自ら考える力だけではなく、情報に関する知識を身に付く。メディアの特徴、論理的な思考、情報の送り手と受け手のギャップなどだ。詳しい説明は第4章第5章を参考にしてほしい。生活にメディアが密着しているため、小さいころから適切な目、情報に惑わされずうまく使いこなす力を養う必要がある。

体験学習の時間

この時間は教科に関係なく、子供たちに様々な体験をさせる。例を挙げると、野外でキャンプや川遊びなどをする自然体験、会社見学や職業体験をする社会体験、農作業や高齢者介護などの人道的作業をする奉仕体験がある。  

多くの体験を積ませることで教科の勉強で生えられない知識が身に付く。自然の雄大さや怖さ、社会が実際に動いている様、人と人とのつながり、他世代との交流などの生の情報にふれる機会は子供たちにとってあまりない。これを学校教育で行うわけだ。  

この時間は学校の枠から出て、社会や地域の中に入っていかなければならない。両者の協力が不可欠になってくる。子供たちに場所を提供してもらうだけでは長続きしないおそれがある。  

それを解決する案として地域通貨、エコマネーの導入である。地域側が場所や教育指導をすればエコマネーがもらえ、子供たちが地域のために仕事をすればもらえるようにするのである。サービスのやり取りを通貨と一緒に流通させるわけだ。  

授業の枠を超えてこのエコマネーが使えるようにすれば様々な効果がある。地域通貨が媒体になることで子供たちが自ら社会のため地域のために奉仕するようになるわけだ。子供たちも社会が身近に感じることだろう。

学年をまたぐ教育

公立の学校教育は学習指導要領により何学年で何をやるか事細かく決まっている。新要領からはこれが最低基準となり、上学年や応用分野を教えてもよいことになった。だが授業はどんどんと先に進み、一つの単元が教えられる期間はわずかだ。補習という形で後戻りすることはあるが、授業の本筋とは扱っていない。  

七五三と言われる授業の理解度に表れるように、理解が十分ではないまま授業が先に進んでしまうため基礎学力の未定着につながっている。下の学年の内容を学ぶ機会が皆無だからだ。一斉授業で行うのも無理がある。  

そこで自習の時間等を利用して、主に昔の内容を勉強する機会を作るのだ。いくら指導要領が3割削減されたとしても全ての生徒に最低基準の内容を身に付けさせるのは無理である。学年の枠を超えた教育が必要なのだ。  

教育の内容だけではなく、子供たちも学年を越えた交流を持たせる意味もある。少子化で一人っ子の家庭も多い。すると上の兄弟の友達と遊ぶような機会もなく他学年との付き合いが希薄になってきている。社会では多くの世代が入り混じっている。同学年だけとなかよくするのではなく、年の違う子供と交流する時間をとる。様々な経験を一緒にしたり、上の学年の子供が下に教えたりするのである。   

【戻る】[教育問題]

雨宮勇徒の研究室[教育・南海トラフ地震対策・原子力]